1957-04-17 第26回国会 衆議院 文教委員会 第19号
つまり国際地球観測年特別委員会というものがございます。これはユネスコの中にICSU、インターナショナルカウソシル・オブ・サイエンティフィック・ユニオンズという学術会議のようなものがございまして、そこの委員会で公式にきめるわけでございますが、その場合には日本の希望に関する小委員会というのができまして、南アの気象台長のシューマンというのが年かさで委員長になりました。
つまり国際地球観測年特別委員会というものがございます。これはユネスコの中にICSU、インターナショナルカウソシル・オブ・サイエンティフィック・ユニオンズという学術会議のようなものがございまして、そこの委員会で公式にきめるわけでございますが、その場合には日本の希望に関する小委員会というのができまして、南アの気象台長のシューマンというのが年かさで委員長になりました。
昨年になりまして、九月に、ブラッセルで、国際学術連合会議の中の国際地球観測年特別委員会というものが開かれる予定になっておりましたので、ぜひそのときまでにこの会議に日本として何か発言できるようにしたいものだという考え方に立ちまして、学術会議の中にありますところの国際地球観測年研究連絡委員会の中に一つの分科を設けまして、果して可能でありゃいなやということを検討していったのであります。
○国務大臣(重光葵君) 南極の学術的探検の問題でございますが、この南極の探検は、本年九月ブラッセルで開かれました国際地球観測年特別委員会第三回会議の要請によって、わが国も国際地球観測年における南極地域の観測に参加することになったのでございます。 そこでこの国際的学術探検の仕事の重要なことであるということは十分に認識しなければならぬと思います。